犬の認知機能不全症候群 ~前編~

 

はじめに

犬の寿命はここ数十年の間に約1.5倍に延びました。現在、犬の平均寿命は14.44歳 *1 ですが、今から3〜40年前、多くの犬はフィラリア症などの感染症で死亡していて、その寿命は10歳にも満たなかったようです。この急激な寿命の延長は、ペット飼育者にとって大きな恩恵である一方で、「老齢期疾患」や「老齢ペットの介護負担」といった新しい課題を生む原因ともなりました。

老齢ペットの介護負担は、ペットが認知機能不全症候群/高齢性認知機能不全(以下、認知機能不全)を発症した場合に特に大きくなります。よく、認知機能不全は人の認知症と症状が似ていると言われていますが、介護の内容はむしろ人の乳幼児育児と酷似しています。以下は0歳児の特徴と認知機能不全の老犬の特徴の共通点です。

  • 歩きたがるが、歩けば転ぶので目が離せない
  • 挟まる、引っかかるなどで動けなくなり、泣く(鳴く)
  • 夜間何度も起きる、夜泣き(夜鳴き)する
  • 食事の際は介助が必要、よくこぼす
  • 排泄をトイレでできず、オムツが必要

人間の赤ちゃんの親は20〜40代の働き盛り世代が多いですが、老犬を連れて動物病院に相談に来られる飼い主は、概ねもっと高齢であることが多いです。働き盛り世代が赤ちゃんの世話をすることも十分大変なのに、老犬介護の現場ではこういった「老人が0歳の乳児を育てる」ような無理がよく起きてしまっているのが現状です。

行動診療科に寄せられる相談の中には、 老犬介護の過剰負担により飼い主が疲弊してしまい、犬が十分な世話を受けられなくなり、それによりさらに認知機能不全の症状が悪化するという悪循環に陥っている痛ましいケースも少なくありません。

近年、老犬の介護問題はテレビのニュースなどでも取り上げられるようになり、ペット飼育における社会問題としての世間での認知度も高まってきました。人々が安心してペットを飼育できるよう、動物病院で認知機能不全の治療と介護対策を包括的に提供する必要があるのではないかと思います。
 そこで本コラムでは、実際に臨床現場でお役立ていただける内容を中心に、犬の認知機能不全について、2回(前編・後編)に分けて解説をしたいと思います。

*1 令和元年 全国犬猫飼育実態調査 (https://petfood.or.jp/data/chart2019/index.html)

症状と疫学

認知機能不全とは、高齢期に認知機能が緩徐に低下していき、様々な行動障害を呈するようになる症候群です。主な行動障害として、見当識障害 (Disorientation)、社会的交流の変化 (Social-environmental Interaction)、睡眠サイクルの変化 (Sleep-wake cycle)、学習した行動(排泄・トレーニング)の変化 (House-soiling, Hygiene, House-training)、活動の変化 (Alteration in Activity)、不安の増加(Anxiety)の6つが挙げられます(表1)。行動障害はこの6つのカテゴリーの一文字をとってDISHAAと呼ばれています。症状の出方は症例によって異なりますが、犬ではウロウロと歩き回る行動や角や隙間で行き詰まる行動が高頻度で認められます。また視覚、聴覚の低下や姿勢・歩行異常(図1)といった身体機能の障害もしばしば認められます。

 

図1: 認知機能不全の犬でよく見られる歩行異常

 

犬の認知機能不全の発生率については複数の研究報告があり、その結果は8歳以上の犬の14%と示しているものから、60%を超えるというものまで、論文によって大きなばらつきがあります *2 。これはおそらく研究ごとに評価手法や基準が異なるためと考えられます。筆者らは、臨床診断でも利用可能なCanine cognitive dysfunction rating scale: CCDRという質問票 *3 (臨床利用しやすいよう改定したものを表2に記載)を用いた、ウェブ調査による疫学調査を実施しました。その結果、日本国内では14歳以上の犬の18%に認知機能不全の疑いがあるとの結果を得ました *4 。またこの調査では、認知機能不全の発生率は15歳までは10%未満と低いものの、それ以降の超高齢期では、16歳で36%、17歳以上で80%と、急増することが確認されました(図2) *4 

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図2: 日本における犬の認知機能不全の発生率の年齢推移

日本では認知機能不全が柴犬や柴系雑種に好発するという報告があり *5 、実際に診察する症例も柴犬が多いと感じますが、先ほど紹介した疫学調査においては、柴犬の認知機能不全発生率は犬全体と比較してもあまり差は見られませんでした *4 。また水越らが2015年に行った国内での調査結果 *6 でも、やはり特定の好発犬種は見出されていません。臨床現場と研究結果に乖離が見られる正確な理由は不明ですが、柴犬は、夜鳴きなどの来院に繋がる症状が強く、動物病院でみる症例中の比率が高いのかもしれません。

病態

認知機能不全の病態は未だ解明されていませんが、発症した犬の脳には、共通して脳全体の顕著な萎縮が観察されます(図3)。萎縮が認められる高齢犬の脳を病理組織学的に観察すると、βアミロイドの大脳皮質への斑状沈着(老人斑)、血管壁への沈着(cerebral amyloid angiopathy, CAA)、ユビキチン陽性顆粒の増加、セロイド、リポフスチンの神経細胞内および神経網、白質への沈着、白質のミエリンの減少、アストロサイトやミクログリアの限局的あるいは脳全体での増加・活性化が観察されます。そのうえ、大脳皮質などに微小な出血病変が認められることもあります。しかしこれらの肉眼的・病理学的変化は、いずれも犬では加齢による生理的変化でも認められるものです。老人斑は人のアルツハイマー病の特徴的な病理変化で、これが認知機能不全の原因であると考える研究者もいますが、筆者らの研究結果では老人斑の多寡と認知機能不全の症状との関連は認められませんでした *7 。まだ議論はあるものの、現在のところ認知機能不全は特定の脳変化が引き起こす疾患というよりも、脳の加齢が重度に進行した結果生じる症候群であるとの見方が強いです。

図3: 認知機能不全の犬の脳の肉眼上の変化
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正常な犬の脳(左)と認知機能不全の犬の脳(右)

診断

認知機能不全の診断は、この症候群の特徴的行動障害(表1)の確認と他疾患の除外をもとに行われます。可能であれば、CTあるいはMRIで脳萎縮を確認します。

1.行動障害の確認

犬の行動障害の評価にはCCDR改訂版(表2)、内野式100点法 *8 、Rofinaの質問票 *8 などの評価質問票を用いることができます。進行した症例であればどの質問票でも検出可能です。しかし、どの質問票も、得点と症状進行程度が相関するようには作出されてはいないため、得点がボーダーライン付近の場合は初期段階というよりは、むしろグレーゾーンと捉えるべきです。また他疾患によっても得点が上がることがあり、診断特異性は低いです。

【表2: CCDR改訂版】資料はこちらからダウンロードできます
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初期に出現する行動障害は症例ごとに異なるうえ、正常な加齢性行動変化と重複するため、行動変化から早期診断することはかなり困難です。前述の筆者らの疫学調査の解析結果から、認知機能不全の 関連因子として年齢の他に「視覚異常」、「嗅覚異常」、「ふらつき・転倒」、「頭部の下垂」、「振戦」といった身体機能の異常が 検出されたことから、行動障害と併せてこれらを確認することでより認知機能不全の診断精度が高まると考えられます *4 。またこれらの発生率は10歳頃から緩やかに増加するため、早期発見の手がかりとしても有効かもしれません(図4) *4 。 筆者は、DISHAAの徴候が顕著でない老犬であっても、上述の身体機能の異常が現れている場合は認知機能不全に進行する危険が高いと考え、飼い主に予防をお勧めするようにしています。

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図4: 犬の認知機能不全と身体症候の発生率の年齢推移

2.他疾患の除外

鑑別では身体疾患の除外が重要です。犬の場合にはクッシング症候群、甲状腺機能低下症といった内分泌疾患、腎障害からの多尿や高血圧に注意が必要です。その他、脳の器質的障害(脳腫瘍、脳血管障害など)、てんかん、脳機能を低下させる代謝性疾患、疼痛・掻痒などの不快感を増す疾患(関節炎、皮膚炎、歯周病など)を鑑別します(図5)。
 鑑別すべき問題行動としては高齢期に発症した分離不安、全般性不安障害、常同障害、攻撃行動、不適切な排泄が挙げられます。

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図5: 昼夜問わず鳴きわめく行動が見られた14歳9ヶ月の柴犬。
 認知機能不全とともに重度の外耳炎、皮膚炎、結膜炎が認められ、
これら身体疾患の治療を行ったところ鳴く行動が激減した。  

3.脳萎縮の確認

認知機能不全の犬ではCTあるいはMRIで脳萎縮が確認されます。脳萎縮は、犬種や体のサイズの影響を受けにくい脳部位である視床間橋の横断面の最大厚を測定します。この数値が5mm以下の場合に、脳萎縮が疑われます *9 。他疾患の除外のためにも脳の画像診断は是非とも実施したいところですが、高齢犬の麻酔下での検査に同意してくれる飼い主は少ないのが実情です。

夜鳴きの鑑別の注意点

認知機能不全の症状の中で一番問題となる夜鳴きについては、せん妄との鑑別が重要と感じています。せん妄とは身体疾患や薬剤、手術などが原因となり、軽度から中度の意識障害をきたした状態で、夜間に悪化する傾向があります(夜間せん妄)*10 。犬の様子が「夜間だけ普段と違う」ような場合は夜間せん妄 の可能性を考え、原因となる身体疾患やせん妄を誘発する薬剤の使用及び手術との関連性の有無を確認するようにしています。睡眠薬を使ってもなかなか止まないような深刻な夜鳴きでは、進行した悪性腫瘍、尿毒症などが検出される事が 少なくありません。このようなケースは疾患末期による難治性のせん妄と推察されます。

犬の認知機能不全症候群-後編-では、治療と介護について解説します。

引用文献

  • *2 Landsberg, Gary, Maďari, Aladár, Žilka, Norbert (Eds.) Canine and Feline Dementia Molecular Basis, Diagnostics and Therapy. Springer, Cham (2017)
  • *3 Salvin H, McGreevy PD, Sachdev PS, et al. The canine cognitive dysfunction rating scale (CCDR): a data-driven and ecologically relevant assessment tool. Vet J. 188: 331-336 (2011)
  • *4 Ozawa, M., Inoue, M., Uchida, K., et al.: Physical signs of canine cognitive disfunction, J Vet Med Sci, 81: 1829-1834 (2019)
  • *5 内野富弥. 日本犬痴呆の発生状況とコントロールの現況.獣医畜産新報. 58: 765-774 (2005)
  • *6 水越 美奈,松本 千穂,脇坂 真美. 高齢犬の行動の変化に対するアンケート調査. 動物臨床医学, 26: 119-125 (2017)
  • *7 Ozawa M, Chambers JK, Uchida K, et al. The relation between canine cognitive dysfunction and age- related brain lesions. J Vet Med Sci. 78: 997-1006 (2016)
  • *8 長谷川大輔, 枝村一弥, 斎藤弥代子 監修, 犬と猫の神経病学 各論編. 緑書房, 87-88(2015)
  • *9 Hasegawa D, Yayoshi N, Fujita Y, et al. Measurement of interthalamic adhesion thickness as a criteria for brain atrophy in dogs with and without cognitive dysfunction (dementia). Vet Radiol Ultrasound. 46: 452-457 (2005)
  • *10 井上真一郎. せん妄診療実践マニュアル. 羊土社 (2019)

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小澤 真希子(おざわ まきこ)先生 の略歴

2006年 東京大学農学部獣医学科 卒業
2006年~2012年 ACプラザ苅谷動物病院 勤務
2016年 東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 博士課程 卒業
関内どうぶつクリニック、他勤務
2020年10月 獣医行動診療科認定医 取得
日本獣医動物行動研究会所属。複数の動物病院で、老齢動物の認知機能不全(認知症)を含む問題行動の診療(問題行動カウンセリング)を担当しています。